ワルトブルグ城 その2

この城で行われていたという歌合戦とその伝説を用いて、ワーグナーはオペラ『タンホイザー』を作った。城の「歌の間」に大きく描かれている絵は、歌合戦の様子を描いたものとされ、19世紀中ごろ描かれたらしい。しかし、この絵の中には、とにかく、この城と関わりのある人物を、歴史の流れを無視してすべて混ぜて入れたらしく、中央には聖エリザベト、左脇にはルター、そして、真ん中あたりにはワーグナーや彼を保護したリスト、この城の再建を勧めたゲーテなどが描かれているらしい。残念ながら、現在、この歌の間は修繕中であり、撮影すべきものは他にはなかった。

ルターが聖書をドイツ語に翻訳した部屋。

ルターが使っていた机。奥に見えるのは暖炉。まず、一般的に言って、ルターが聖書をドイツ語に翻訳したことで、その後のドイツ語標準語形成に大きな影響を与えることとなる。当時の神聖ローマ帝国時代、各地はその地方を支配する有力豪族によって統治されていた。有力貴族は、神聖ローマ帝国の皇帝を選ぶ権利を持っていることから、「選帝侯」と呼ばれる。ルターをこの城にかくまったフリードリヒ3世もその選帝侯である。このように、各地は小さな国のようであり、各方言の違いが激しくなる。ルターは、当然、彼の育ったザクセン地方の方言によって聖書を翻訳したのであり、これによって、ザクセン地方の方言が中心となって、ドイツ語の標準語が形成されていったのである。

キリスト教がローマ帝国の国教となったため、聖書はラテン語に翻訳された。しかし、ラテン語訳には言葉の面で問題があり、また、ドイツの一般人には読むことのできない言葉である。ルターは、聖書の原典であるギリシャ語からドイツ語に翻訳した。このような、今まで行われていなかったことを、それも、これからのことがまったくわからない環境において行なう、ということは、ルターにとっても精神的に圧迫されることであったことは容易に想像がつく。そのような中、ルターは悪魔の姿を部屋の壁に見てしまい、とっさに手元にあったインクのビンを壁に投げつけた。この写真の中央部分にそのインクの跡があったと思われるが、以前よりこの部屋に来た観光客によって壁は完全に削られてしまっている。

城の中に展示されていたルターの書き込みのある聖書。ルターの訳したドイツ語訳聖書が印刷された後、次に改訂する時、ここはこのように直してほしい、という意図をもって書き記されたものだという。