ワルトブルグ城 その1 (9月17日)

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世界遺産ワルトブルグ城。旧東ドイツ、チューリゲン州の山の頂上にある美しい城。しかし、ドイツの遺跡ではよく行われているが、現在、この城も部分的に補修工事が行われていた。この城は、①歌合戦の伝説 ②聖エリザベト ③マルティン・ルターの三つにおいて有名である。
 
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城の入口からも、山上の眺めがダイナミックである。
 
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受付のフロアも、ルターの本や写真であふれていた。
 
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そして、受付の後ろに興味深い額縁を見つけた。知らない人が見たら、何のことかさっぱりわからないはずだが、後にも載せるが、ルターが壁に現われた悪魔に向かってインクのビンを投げた跡を再現したものである。「こんな感じでしたよ」とでも言うのであろう。現在、あったはずのインクの跡は、昔からの観光客の手によって壁ごとはがされ、まったくなくなってしまっている。
 
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城の端にある塔。登ろうとしたが少しばかりコインが必要であり、小銭がなかったので登れなかった。
 
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中庭から見た塔。中世の多くの城がそうであったように、この城も後に廃墟となり、ドイツの詩人ゲーテによって補修保存が提案され、1846年から再建が始まった。まず再建されたのが、この塔だという。
 
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城の中から望むアイゼナハの街。ルターが学生の頃学んだ街であり、バッハの生まれた街でもある。つまり、ルターは学生の頃から、この城のことはよく知っていたわけであり、この城にかくまわれながらも、自分の学んだ街を眺めていたのである。しかし、容易にはその街に下りて行けないという自分の身を、アイゼナハを眺めながらどう思ったことであろうか。
 
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聖エリザベトの部屋。彼女を記念する部屋として、今から100年ほど前、床、壁、柱、天井に至るすべてのところに装飾が施された。聖人崇拝の熱意には驚かされる。エリザベトは、1207年、ハンガリーの王女として生まれ、この城の城主ルートヴィッヒ4世と結婚した。病気や貧しい人々のため尽くしたが、夫が十字軍遠征の際死去すると、家の財産を貧しい人々のために散らされることを恐れた夫の兄弟から、3人の子供たちとともに追放され、後に修道女となるが、24歳の若さにして死去。1235年、教皇によって聖人とされる。
 
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城の中の礼拝堂。ルター当時のままである。前の見えない日々の中で、ルターはこの部屋で、どのような祈りを捧げていたのであろうか。髪の毛と髭を伸ばし、騎士の姿となったルターが、言葉にならない祈りをもってかがみこんでいる姿が目に浮かぶようである。
 
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礼拝堂の壁に残る使徒たちの絵。ルター当時のままである。
 
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